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千葉地方裁判所松戸支部 昭和40年(わ)39号 判決 1969年8月15日

被告人 立川秀雄

昭九・六・一八生 国鉄労働組合専従者

主文

公務執行妨害につき被告人を無罪とする。

傷害につき被告人を懲役弐月に処する。

訴訟費用中証人新井松男・同石川武・同村山宗則・同田中源次・同山本昇に支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件公訴事実は

被告人は、国鉄労働組合東京地方本部上野支部の専従員であるが、昭和四〇年四月三〇日午前四時頃松戸市松戸字虹引四七二の二番地所在国鉄松戸電車構内三番線附近において、折柄国鉄労働組合が行つていた時限ストライキのため同日午前四時一二分出庫予定の始発四二八H電車の発車を阻止すべく無断で同電車の運転室にひそんでいた六名余りの労働組合員が当局員に発見詰問されて同運転室より次々と飛び降り逃走を企てた状況ならびにその労働組合員の確認等証拠保全のため写真撮影をしようとした国鉄公安職員新井松男(当三四年)に対し「この野郎何するんだ。カメラなんかとるな」などとどなりながら同人をめがけ体当りを加えて同人を同所に転倒させ、よつて国鉄公安職員としての同人の公務執行を妨害し、かつ同人に入院加療三二日を要する見込みの右鎖骨皮下骨折の傷害を負わせたものである。

というのである。

よつて、当裁判所は、証拠を検討して審究した結果、被告人に対し左記傷害の事実を左記証拠により認定し左記法令の適用をなして主文のとおり科刑しかつ訴訟費用の負担をさせるべきであるが、公務執行妨害の点については後述の理由により罪にならないとして無罪を言渡すべきである、との結論に達した。

第一、認定した犯罪事実

被告人は、当時国鉄労働組合東京地方本部上野支部の専従員であつて、同労働組合が決定してその実施を推進中であつた昭和四〇年四月三〇日早朝の時限ストライキに際し、その拠点の一つである松戸市松戸字虹引四七二番地所在国鉄松戸電車区構内において、同日払暁から労働組合側の現場指揮者の一員として行動していたが、同日午前四時頃同電車構内の三番線附近において、折柄右ストライキに随伴して発生する犯罪の証拠及び同ストライキ参加国鉄労働組合員確認資料の写真撮影による集収を主任務として行動していた国鉄公安職員石川武が、右三番線に留置中の四二八H電車の前頭附近において右ストライキ参加の国鉄労働組合員黒須繁男を捉え、同じ任務を帯びて同行中の国鉄公安職員新井松男(当三四年)をして右黒須の顔写真をとらせるためこれを免れようとして懸命にうつむきしやがんでもがき暴れる右黒須を国鉄当局職員二名の協力の下にその背後及び左右から押えつけ同人の顔を右新井の方に向け曝そうとして同人が頭から被つているレインコートを剥ぎ取り同人の頭をこづき上げ同人の頭髪を掴んで後方に引張るなどの暴力的行動に及んでおり右新井が右石川らの行動に呼応してカメラを構え右黒須の顔写真をとる機会を窺つている状況を認めるや、右顔写真撮影行為を妨害阻止することを決意し、直ちに右新井をめがけて走り行き同人に躰当りの暴行を加えてその場に転倒させ、よつて同人に入院加療三二日を要する見込みの鎖骨皮下骨折の傷害を負わせたものである。

第二、右認定の拠つた証拠の標目(略)

第三、認定した犯罪事実に対する法令の適用

被告人の判示所為は刑法第二〇四条罰金等臨時措置法第二条第三条第一項第一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択して、被告人を主文の刑に処し、刑事訴訟法第一八一条第一項により主文掲記の訴訟費用を被告人に負担させることとする。

第四、公務執行妨害の点につき罪とならないと判断した理由

被告人が鉄道公安職員(以下公安職員と略称)新井松男に体当りの暴行を加えたことを以つて同公安職員の公務執行の妨害であるとする本件公訴における主張は体当りの暴行を受けた時点における同公安職員の写真撮影行為が適法な職務執行行為であつたとする前提に立つものであることが明らかであるが、この前提は誤りであると考えられる。

証拠によれば、新井公安職員は、体当りの暴行を受けた当時国鉄労働組合が実施にとりかかつていた時限ストライキに随伴して発生する犯罪の証拠及びストライキ参加の国鉄労働組合員(以下組合員と略称)確認資料の写真撮影による集収を主任務とし、同じ任務を帯びた公安職員石川武と組をなして相携え、国鉄松戸電車区構内において行動しており、折柄同構内三番線に留置されている同日始発予定の四二八H電車の運転室を占拠し、同電車の前頭部近くに集合した多数の組合員の行動と相俟つて、同電車運転室への乗務員の接近入室を妨害する態勢をとつていた約六名の組合員が、乗務員誘導の任を担つた同電車区技術助役が多数の国鉄当局側職員及び公安職員の援護の下に右運転室左側出入口から同室への入室を強行し来たのを見て次々に同運転室の右側出入口から地上に飛び降り逃げ出した際、石川公安職員がその最後の一人黒須繁男(以下黒須と略称)を右電車前頭部の数米先附近において捉え応援に来た国鉄当局側職員二名の協力を得て押えつけたのを機会に、黒須の顔写真をとろうとしていたこと、右両公安職員は黒須の前記電車運転室への立入り占拠を威力業務妨害(刑法第二三四条)鉄道営業法違反(同法第三七条)であると判断し、石川公安職員において黒須を現行犯人として逮捕するため同人を捉え、新井公安職員において右逮捕に伴う証拠保全のため黒須の顔写真をとろうとしたものであること、が認められる。公安職員は鉄道公安職員の職務に関する法律の規定により鉄道施設内における犯罪について捜査権を有しており、石川・新井の両公安職員は、当時ストライキに随伴して発生する犯罪の証拠及びストライキ参加組合員確認資料の写真撮影による集収を主任務としていたが、犯罪行為を現認した場合その犯人を現行犯として逮捕しかつ必要あるときはその現場において捜索押収または検証をなす権限をも有していたものであり、また現行犯人逮捕の際その現場において証拠保全のための写真撮影も必要あるときはこれをなすことができると解するを相当とするから、新井公安職員の前記写真撮影の行為はその必要があつたとすればそれ自体としては違法とはいえない。しかしながら、前記の如く黒須を現行犯人として逮捕するため同人を捉えた際その現場において同人の顔写真を撮影しておく必要性があつたかについては疑いがあり、更にまたその顔写真撮影のために不当な強制力が行使された疑いが濃厚である。先ず顔写真撮影の必要性があつたか否かを見るに、証拠によれば、新井公安職員が前記体当りの暴行を受ける前既に石川公安職員が国鉄当局側職員二名の協力を得て黒須逮捕のための実力支配を一応確立しており、またその現場近くに他の公安職員や国鉄当局側職員が多数居て稍離れて集合していた組合員らによる黒須奪還の急迫した動静があつたのでもなく、従つて直ちに黒須に戒護を施してその身柄を確保するという現行犯人逮捕の際の常道的措置を執ることができ、特に急いで現場において顔写真を撮影しておく必要はなかつた消息が窺われる。次に顔写真撮影のために不当な強制力が行使された疑いの存する点を見るに、石川公安職員は、黒須に対する逮捕のための実力支配を一応確立したにかかわらず直ちに同人の身柄確保の措置を執ることをせず、ただ新井公安職員に黒須の顔写真をとらせることに専念し、既に逮捕のための実力支配により行動の自由を制圧されながらも顔写真をとられることを免れたい一心から余力をしぼり前かがみになつたりしやがみ込んだり顔を伏せたり外向けたりしてもがき暴れる黒須の顔を、撮影の機会を狙つてカメラを構えている新井公安職員の方に向け曝すため、同人が頭から被つているレインコートを剥ぎ取つたり同人の首を抱えて力づくで上向けようとしたり同人の頭や頭髪を背後から引張るなど暴行ともいえる過激な強制力を加え、また新井公安職員は、同人に黒須の顔写真をとらせるため石川公安職員が黒須に右のような過激な強制力を加えていることを熟知しながらこれに同調し呼応し相協力して黒須の顔写真をとろうとしていた、との事実が窺われる。刑事訴訟法第二一八条第二項は身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影は令状によることを要しない旨規定しているがこれとても写真撮影のために特別な強制力を用いることを許容しているものでは決してないのであつて、現行犯人を逮捕した場合その現場での証拠保全のための写真撮影においても右の例外を許すものではない。新井・石川両公安職員が、その必要性が必ずしも存しないのにしかも前記のような過激な強制力を行使して黒須の顔写真をとろうとした行為は人権を侵すものとしての非難を免れずこれを刑法第九五条の規定による保護に値する公務執行行為となすことはできないと言わなければならない。よつて公務執行妨害の点は罪にならないと判断したわけである。

第五、弁護人の正当防衛の主張について、

弁護人は、新井公安職員に対し行つた被告人の所為は、同公安職員と石川公安職員とが黒須の顔写真をとる手段として協同して同人に暴行を加えもつて急迫不正の侵害を敢えてしたため、これを防衛するため已むを得ずになしたもので、正当防衛行為である、旨主張するので、按ずるに、石川・新井両公安職員が黒須に対しその顔写真撮影の手段として違法な強制力を加えたことは前に見たとおりであつて、これが急迫不正の侵害であることは否定し難いにしても、また被告人の荒井に対する所為が右急迫不正の侵害を防衛するためのものであつたと仮りにしても、その防衛のためには他の穏当にして有効な手段を選ぶ余地がなかつたわけでないことは証拠上窺われる当時の状況に徴してもまた一般的思慮に鑑みても否定し難いところで、被告人の右所為は少くもその手段において已むことを得ざるに出でた行為とは認められない。この所論は採用できない。

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